bluegrasswise ブログ

日本列島とほぼ同じ緯度にあるアパラチア山脈、どことなくその人情も日本人に通じる 南部アパラチアの田舎から生まれたオーガニックでエコなアコースティック音楽(共鳴 /共生)、そして1960年代以降のヒッピー文化を含むカウンターカルチャーとの出会い で自由な個々人の感性を尊重する非マウス音楽として人知れず世代を越えて広まりつつあるブルーグラス(bluegrass)にかかわる(wise)ブログです。

ジョン・グリック MOONSHINER/April 2018

ジョン・グリック インプロバイズするトラッドグラス フィドラー、 東京で一夜限り(5/9)のワークショップ

ジョン・グリック
〜インプロバイズするトラッドグラス フィドラー、
東京で一夜限り(5/9)のワークショップ〜

 

 

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フランク・ウェイクフィールド、デイブ・エバンズ、デル・マッカーリー、ダニー・ペイズリー、デビッド・グリスマン……、凄いでしょ!! この一連の濃い人たち……。そんな彼らから信頼されるフィドラー、ジョン・グリックがここのところ毎年5月に来日している。日本に住む息子さんを訪ねるのだそうだ。ようやく今年、時間を見つけて5月9日、東京で一夜だけ、フィドラーのためのワークショップを開く。

インプロバイズするロングボウのブルースからはじまったブルーグラスフィドルの歴史とともに、クラシックも能くするスーパーキッズ出身フィドラーが多い昨今、今では珍しくなった「叩き上げフィドラー」の魂が聴ける稀有なフィドラーを紹介したい。

(文責:井上“渡辺”三郎)

何年か前、息子のマンドリン奏者・井上太郎が、「ジョン・グリックって知っとう?」と言ってきた。「もちろん、ごっつぅええフィドラーやで!」と答えると、「そうナン...!?」。太郎は故・柳生真吾いとうせいこうによる企画として誕生した街の中にある植物を訪ねる『プランツウォーク』で当時、web TV 局「plants+ TV 」の即興音楽を担当していて、そのクリエイティブディレクターのルーカスB.B(=バテキ・バルコ)の父がブルーグラスをしているらしいと聞いてきた。ルーカスは「地上で読む機内誌」をコンセプトに雑誌『PAPERSKY 』やキッズ誌『mammoth』を発行、現在もジョンが毎年参加する子供キャンプ「マンモスハローキャンプ」などを主宰するニーハイメディア・ジャパンの代表取締役兼総合プロデューサーだ。2007年頃のことだったか……?

第一世代の偉大なブルーグラス創造者たちと、第三世代スーパーキッズたちに囲まれて、その存在感が希薄にならざるを得ない第二世代のフィドラー、しかもローカルミュージシャン。はっきり言って、日本でもジョンを知る人は少ないだろう。だがしかし、彼のような「叩き上げ」の「本物」のトラディショナル(伝統的)な流れを汲んだブルーグラスフィドラーは、本当に数少なくなっていて、とても失礼な言い方だが21世紀の現在、「天然記念物的な存在」であると思っている。

5月9日に計画されている「ジョン・グリックのインプロバイズフィドルワークショップ」は、アート・スタンパーやバディー・ペンドルトン、バディ・グリフィン、ソニー・ミラー……ほか、無名ながら1950〜60年代のブルーグラス発展の原動力となったフィドラー同様、飾られた商業録音ではなく、ブルーグラスが息づく現場叩き上げのフィドラーから「土の匂いがするアグレッシブな音」を身近に浴びることのできる極めて貴重な時間だと、わたしは考えている。来年は、できれば大阪でもやりたいと思っているが、どれだけの人が興味を持ってくれるのだろう?

セルフバイオ

文/ジョン・グリック

1951年5月28日、コロラド州ボールダーで生まれました。何度かの引っ越しののちメリーランド州ボルティモアに住むようになって60年ほどになります。家族は音楽好きで、ジャズやクラシック、フォークなど、いろんな音楽に触れるチャンスをもらいました。小学校のときには2年ほどバイオリンを習いましたが、11歳の頃に辞めてドラムスとサックスを弾き/吹きはじめました。

17歳のとき、1968年、ノースカロライナ州ユニオングローブのフィドルコンテストに行き、そこでさまざまに幅広いストリングバンド音楽を見聞きし、とても驚きました。100以上のバンドが参加しており、キャンプファイヤーの周りでフィドラーたちをはじめ、みんなが音楽への愛と喜びを爆発させているのを目の当たりにしました。

家に帰ってから、屋根裏に放り込んであった古いフィドルを取り出し、弾き方を思い出しながら学びはじめました。

当時のボルティモアには、とても多くのブルーグラスがありました。そのほとんどがバーでの演奏でしたが夏にはまた、地元のカーニバルやカウンティーフェアでオズボーンブラザーズやビル・モンロー、ルイスファミリーやドン・レノなどを観ることが出来ました。1970年代の後半の頃には、ウォルター・ヘンズリー&デュークスオブブルーグラスに参加、そのほかにもさまざまな地元のバンドで演奏をはじめました。

フランク・ウェイクフィールドのグッドオールボーイズへの誘いの電話があったのは1977年でした。それからしばらく、一緒に演奏をつづけました。ギター奏者はデビッド・ネルソンかピーター・ローワンでした。そしてニューライダーズオブザパープルセイジらのオープニングアクトを務めたり、ジェリー・ガルシアも何度かバンドに参加したりしていました。

1983年、デイブ・エバンズのリバーベンドに参加ののちデル・マッカーリーのデキシーパルズに参加、数年間、ツアーやレコーディングに参加しました。そののち、ボブや息子のダン・ペイズリーのサザングラスに参加してツアーをしていましたがその間も何度か、デルからレコーディングに誘われて参加しました。

そのように1970年代から90年代、フリーランスでさまざまなバンドに参加するとともに、自身の バンド、チェサピークレトリーバーズもやっていました。当時、ボルティモアには4軒か5軒のブルーグラスを演奏するバーやクラブがあり、フェスティバルやコンサートなど、いろいろな仕事のチャンスがありました。

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現在、フリーランスのほか、フットワークスダンスアンサンブル(マーク・シャッツ夫妻らのクロッグダンスチーム)、ブルーストーン、イーストマンストリングバンドなどのバンドに参加、またトレイシー・エルドリッジとふたりで子供向けのショウをやっています。

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……自分自身のことを書くのは、すこし気まずく、ぎこちない感じもしますが送ります。また、ボルティモアブルーグラスに関して、ティム・ニュービーが書いた『Bluegrass in Baltimore:The Hard Drivin' Sound and Its Legacy 』(McFarland, 2015)の中でも、わたしのことが少し紹介されています。

(了)

ジョン、注目のレコーディング

以下、ジョン・グリックが、これまでに残してきた録音から注目すべき作品を紹介しておこう。

なお、上記の『Bluegrass in Baltimore』には、ダン・ペイズリーの証言として、ジョンが「レスター・フラットやジミー・マーティンから誘われたけど、ここを離れなかった!」と語っている。1960年代はとくに、高度経済成長とともに労働者の羽振りが良く、昼間にちゃんとしたフルタイムの仕事を持ちながら夜には週に4日から7日間もクラブで演奏して小遣い稼ぎ……、ダンが言うように、「安定した収入と家庭を持ちながら、どーしてビル・モンローやジミー・マーティンのバンドに入ってピーナッツを買うくらいの稼ぎのために遠くまで出かけねばならないのか?」というのが当時、ボルティモアブルーグラスミュージシャンの選択だったという。確かにジョンは、そんな中で育ったものの、活躍が1970年代以降という、少し出遅れた感もあるが、日本で70年代以降、「DCグラス」という括りのバックボーンとなっていたDCの北、ボルティモアブルーグラス伝統/文化を見届けてきた証人でもある。

ボルティモアペンシルベニア南部地区同様、南部アパラチアからの移民が多かったオハイオ州シンシナティやデイトン、ミシガン州デトロイトなどに1960年代、独自のキョーレツなブルーグラス文化が花開いたことにお気付きの方も多いだろう。ナッシュビルで商業的に成功しかけたほんの数少ないミュージシャン以外、現在に至るブルーグラスを支えたのは、今はトランプ大統領の支持基盤といわれるラストベルト(錆びた地帯)のそんな労働者たちと、都会の医者や弁護士、そして、デビッド・グリスマンらに象徴される高学歴なミュージシャンたちだった……。J.D.ヴァンス著の話題『ヒルビリーエレジー』(2017年光文社刊、ロン・ハワード監督映画化)の紹介とともに近々、特集予定だ。(閑話休題

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●1976年、チャビー・ワイズやドン・レノ、ジェリー・ガルシアという巨匠らを迎えたグッドオールボーイズ名義のアルバム『Pistrol Packin' Mama』につづいて1978年に発表されたフランク・ウェイクフィールドの作品。フライングフィッシュから発表されたLP『Frank Wakefield & the Good Ol' Boys 』(FF-049、トリオから日本盤もリリース)がジョンのレコーディングデビューのようです。まだまだ未完ながら、ブルージーな“Blue And Lonesome ” などで、コードのマイナーペンタトニックのブルーノートや意図的なリズム処理など、のちの1980〜90年代に現われる自由奔放さを聴かせたり、“The Hobo Song ” における明らかなバッサー・クレメンツの影響などが楽しめる。
●1983年、ボルティモアペンシルベニア地域と同様、濃いブルーグラス伝統が残るオハイオ出身で、アール・テイラーやラリー・スパークスを経たソウルフルなトラッドグラスシンガー、デイブ・エバンズのリバーベンドに参加、『BluegrassMemories 』(Rebel 1630) と『Close To Home 』(Rebel 1693)に参加している。
●1985年、デル・マッカーリー名曲“Loneliness and Desperation ” を生んだ名アルバム『Sawmill』(Rebel-1636)。B 面4 曲目、名曲“Pick Me UpOn Your Way Down ” でのイントロの美しさ、この美しいメロディのアウトロをもジョンに任せようとしたデルの気持ちがよく分かる。

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つづくデルの名作、1990年の『Don't Stop the Music 』(Rounder 0245) や1992 年『Blue Side of Town 』(Rounder 0292)の録音にも呼ばれました。『Don't Stop the Music 』(1990, Rounder-0240)、デルが現在の巨匠と呼ばれる地位にステップアップするきっかけとなったラウンダー移籍第一弾作品と第二弾に参加、第三作でジェイサン・カーターが参加するまで、すばらしいフィドルを聴かせている。ちょうどデルの息子、ロニーやロブ・マッカーリーがデビューする頃、デキシーパルズの屋台骨を支えていたのがジョンだった。
●1994年のヨーロッパツアーでボブとダンのペイズリー親子のサザングラスに参加、2000年に入って発表された2枚のライブ盤、ダン・ペイズリー名義『Forty Years of Trouble 』(SCR-51、2001)とボブ・ペイズリー名義『Colors of the Blues』(SCR-55、2003)、とくにダンとの『40 years...』のジョンは本領発揮、ブルーグラスライブでのインプロバイズ魂に溢れた名演だ。

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日系フィドラー、アニー・カオル・スタニネッツ(本誌2016年3月号カバー特集)が発表したフィドル教本に収められた“Live and Let Live ” はこのときのダンのアルバム『Forty Years...』のキックオフ1曲目だ。ジョンのフィドルイントロで基本メロディーを取ったあと、計3回におよぶフィドルソロは圧巻だ。もちろん、ブルーグラスキーと呼ばれる「Bナチュラル」におけるバックアップも含め、楽譜だけではとても理解できないだろうが、その素晴らしい間奏を紹介しよう。

ジョン・グリックのフィドル

文、採譜/アニー・スタニネッツ

以下の文と採譜はアニーの素晴らしいブルーグラスフィドル教本、46曲のチョーシビアなフィドル間奏ソロを採譜した『Traditional Bluegrass Fiddle Solos』(=12頁写真参照)より許可を得て転載、またこの2曲の音源はB.O.M.サービスのサイトで聴くことができる。なおこの教本に、ジョンのソロはほかにも2曲、スタンレーブラザーズ名曲“Our Darling's Gone ” とスタンレーのカバーで知られるウィルソンブラザーズ作の“Lonesome Old Home ” の計4曲が収められている。

アニーは2008年以来、サンフランシスコベイエリアの名門キャシー・キャリック・バンドに在籍、2016年にはロッド・スチュワート・バンドでのツアーを体験するなど活躍をつづけている。

アニーのフィドル教本には、カーリー・レイ・クラインにはじまり、ラルフ・メイヨー、チャーリー・クライン、アート・ウートン、マック・メゲーヘほか、忘れてはいけないフィドラーの素晴らしい間奏がズラーっと46曲並ぶ。ブルーグラスフィドルの愉しみはフィドルチューンもさることながら、なんたって歌をなぞり、曲に思いを込めてのバックアップとインプロバイズする間奏ですネ、アニー!?

■“Wandering Boy”

ジェイムズ・キングとダニー・ペイズリーが、有名なDJ、レイ・デイビスの「ベースメントテープ」(スタンレーブラザーズのワンゴ盤などでも知られる)と呼ばれるシリーズに録音したA.P.カーター作“WanderingBoy ” のジョン・グリックの間奏です。

グリックはここで多くのブルーノート、例えば何ヶ所かで「F 」、また9小節目ではA線上の「C 」と「C#」の中間音などを使っています。2小節目、「B」と「F#」ではじまるダブルストップはA線とE線上の「Bb」と「F」をともに人差し指をスライドさせて弾きます。また彼は、そのドライブ感あふれるエネルギッシュなスタイルを、とくにこのブレーク後半で16分音符のパッセージを1音ずつのボウストロークを多用します。

ひとつ、気を付けることは、この曲の途中の? コード(キー「G」の場合の「D」コード)の長さが4拍ではなく2拍にする人がいることです。つねにその長さがどうなのかを尋ねておくのもいい考えですね。ここではレコーディングに応じた4拍で採譜しています。

■“Live and Let Live”

この曲はジョン・グリックがボブとダンのペイズリー親子と録音したライブ盤『Forty Years of Trouble』からのものです。ジーン・シェルドン作のこの曲は現在、ブルーグラスの人気あるスタンダードとして知られています。

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この録音でグリックは何度かソロを取りますが、そのすべてが素晴らしく、ブレークを重ねるごとにその素晴らしさが積み上げられているように感じられます。実際、このアルバム全体でのグリックのフィドルはまさに火を噴くようです!

16分音符のパッセージがつづくところで、彼は強いドライブ感を生むために弓に目一杯のプレッシャーとスピードをかけ、シングルノートのボウイングを多用しています。また5小節目で、第3ポジションにシフトし、「D」音まで(おそらく)小指でゆっくりとスライドさせます。そして6 小節目で、「A」音から薬指をスライドさせてダブルストップで「G#」を鳴らし、第1ポジションに戻ります。最後にはとても多くのビル・モンロー録音で聴かれる古典的なブルーグラス3連符で終えます。

最後に、ジョン・グリックのフィドルスタイルに至るブルーグラスフィドルの変遷を簡単におさらいしておこう。

ブルーグラス フィドルの歴史

■フィドラー受難の時代 50 〜60 年代を経て……

特異に多い1937〜38年生まれのバンジョー奏者と違い1950年代前半、すなわちフラット&スクラッグスがその絶頂期にベニー・マーティンやハウディ・フォレスターというかけがえのないフィドラーを擁してトラッドグラス最高のアンサンブルを成したときに15歳くらいだったという、ちょうど楽器モチベーションが最高潮に達した若者フィドラーの生き残りはそんなに多くない。……というより、著名ブルーグラス人のリストを検索してもその二年間に生まれたフィドラーは皆無だった。なぜなら、1954年にはエルビスがデビューして、フィドルという楽器の存在意義が、音楽業界から極端に貶められたからだと思われる。

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フィドル以上に田舎もんだったバンジョーは、まだ救われた。なぜなら当時、すでにバンジョーは死に体であり、スクラッグスのインパクトはそんなわずかなマーケットにとっての絶大であり、それがゆえに1960年代にはあたらしいモンとして受け入れられる余地があった。しかし、フィドルには19世紀以来、いやそれよりもっと昔、宮廷ではなく農家の納屋で弾きはじめられて以来、田舎もんの洗練されない雑音というイメージがついていったがため、その存在自体が忌避されたという一面があったと思われる。それゆえに1960年代のフォークブームで脚光を浴びはじめたバンジョーブルーグラスだが、そのフィドラーを志望する若者は極めて少なかったと想像する。

フィドリング・アーサー・スミスによって始まったロングボウと呼ばれるブルージーな奏法以来、ビル・モンローの好みによって形づくられていったブルーグラススタイルがはじけたベニー・マーティン登場ののちの1960年代、その流れをアグレッシブに継いだスコット・ストーンマン、そして親から受け継いだテキサススタイルをブルーグラスに昇華したバイロン・バーラインらがわずかな希望をつなぎ、さらにケニー・ベイカーがモンローミュージックのフィドルスタイルを完成しつつあったものの、1960年代にあたらしく台頭してきた若者バンド、カントリージェントルメンをはじめ、グリーンブライアーボーイズ、ザ・ディラーズなど、どこにもレギュラーフィドラーはいない。そんな中、スコット・ストーンマンを迎えたケンタッキーカーネルズは例外だろう。

兄ローランドのブルーグラス愛と弟クラレンスのアグレッシブなツービートというこの上ないホワイト兄弟に煽られたスコットのライブからインスピレーションを受けてとんでもないブルーグラスフィドルを、しかもビル・モンローのブルーグラスボーイズの録音に残したリチャード・グリーン。それは同時期にスタジオミュージシャンとしてメジャーカントリーで活躍しながらも、モンローミュージックに特化したベイカーとは違う、それまでのさまざまなフィドルスタイルを踏まえたツービートとスリーコードにおける高い音楽性を持つブルーグラスフィドルスタイルを残したバディー・スパイカー。そしてもうひとり、天才としか呼びようのない、モンローチルドレンながらビッグバンドジャズをひとりでこなすバッサー・クレメンツ。リチャード、バディ、そしてバッサー、この3人の第二世代フィドラーが70年代降に花開く新世代フィドラーの土台となったと思う。

そんな1960年代後半に、ジョンはブルーグラス虫にかまれたという。この3人からの直接的な影響は感じられないものの、ブルーノート(マウンテンマイナーも同じ)を主体にするアグレッシブなインプロバイズが身上のジョン、第一世代のフィドルを基盤として第二世代の精神性とテクニックを受け継ぐ生き残りフィドラーなのだ。

■新世代フィドラーの時代

1970年代、10代の前半ですでに名を成した天才、マーク・オコナーがナッシュビルフィドル伝統をすべて書き換えていく。テキサス(ないしコンテスト)フィドルと呼ばれるトラッドフィドルチューンにさまざまなバリエーションを加えて行くテクニカルな奏法を完成させ、さらにはブルーグラスで発達したコード上のアドリブ奏法もマスター、そしてジャズバイオリンの巨匠ステファン・グラッペリと並び称せられるまでにスウィングフィドルを極め、ついにはヨーヨー・マと組んでクラシック界で大ヒットとなる『Appalachian Waltz』を発表するに至る。

イツァーク・パールマンアイザック・スターン五嶋みどりなど、20世紀のクラシックバイオリンの巨匠らと肩を並べたメリル・ストリープ主演映画『ミュージック・オブ・ハート(Music of the Heart)』(1999)で披露した「オレンジブロッサムスペシャル」は、フィドルの地位が確実に別レベルに到達した証でもあった。

そんなマークが主宰したフィドルキャンプから、次々と生まれたのが第三世代のスーパーキッズたちだ。そしてマークがクラシック界に転じ、ナッシュビルでのセッションを止めたあとの仕事を一手に引き受けることになるのが、リチャード・グリーンと同じ、カリフォルニアからやって来たステュアート・ダンカンだ。ステュアートはマークと違い、そのテクニックとは裏腹に、つねにブルーグラスの初心に帰り、トラッドグラスに深く傾倒するフィドラーだ。

ステュアートの活躍でマークからちょうどいい揺り戻しを経験したそののち第三世代によるブルーグラスフィドルの発展は、わたしのような第一世代から抜け出せないおじさんフィドラーには目を覆うばかりのもの(!?)がある。2016年、東京で催したステュアート・ダンカンのフィドルワークショップでは第一世代の録音から学ぶことの重要性を繰り返し述べていた姿、その謙虚で真摯なブルーグラス愛には驚いたものだ。

口承伝承であるブルーグラスの本質、その魂、つまり目前の人物から受けるパルスは、よほどの想像力と感性の持ち主でない限り言葉や、ましては映像などから伝わるものではないことを胆に銘じることだ。いかなる音楽も「生」がサイコーだ。その場に赴くことができない場合は、ただ目を閉じて、真摯にその音に聴き入ることだろう。

 

ジョンとサブさんのフィドル'n'伴情旅2019

ジョン・グリックと5月15日から26日ツアー

 

ゴールデンウイーク明けの5月15日から26日まで、ナッシュビルの商業フィドルとは違う、アーシーな土と草の香りがするブルーグラスフィドルを弾くジョン・グリックとともに、関東、中部、関西をツアーすることが決まりました。1970年代後半からデル・マッカーリー・バンドやボブ&ダン・ペイズリー、ジェイムズ・キングら、濃いトラッドグラスの第一線で活躍したすばらしいフィドラーです。各地で地元のミュージシャンたちやリスナーとの充実した時間が持てればありがたいです。

 

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ツアーの日程は次の通り。ぜひ、そのすばらしい「音」を体感してください。……今後も出来る限りミュージシャンとリスナーらがごく近くで触れ合う「草の根」交流を持ちつづけたいと思います。ぜひ、万障繰り合わせてのご参加をお待ちしています。よろしくお願いいたします。

【ジョンとサブさんのフィドル'n'伴情旅2019】

(総合問い合わせ:fiddleandbanjo@nifty.com)

  • 5月15日(水)
    東京「小平ギャザリング+ジョン・グリックを迎えて~みんなで楽し もうブルーグラスピッキン」
    小平中央公民館視聴覚室(042-341-0861)1時半~4時半
    参加費¥2,000-。187-0032
    小平市小川町2丁目1325(最寄駅:西武多摩湖線青梅街道駅」下車歩5分)
    (問)佐々木仁(090-3917-3672、jin3@jcom.home.ne.jp)
  • 5月16日(木)
    埼玉「越谷おーるどタイム with シティーリミッツ」
    越谷市大沢4-3-14(越谷郵便局前、048-971-1812)
    17時開場18時開演
    参加費¥2,500-(問)椋野誠造(048-971-1812、https://oldtimemk.exblog.jp/
  • 5月17日(金)
    東京「高円寺・ムーンストンプ~ジョン・グリックを囲んで」
    http://bighitcompany.com/moonstomp/
    7時開場7時半時開演~8時半終演(こののちフリージャム会)
    参加費¥1500-(問)岩本 健(iwamotoacwmando@gmail.com
  • 5月19日(日)
    岐阜「大垣市青年の家
    大垣市見取町1-13-1(0584-78-9308) 13時~17時
    参加費¥1500
    (問)安川直樹(0584-45-2176、naoworks@h2.dion.ne.jp)
  • 5月20日(月)
    和歌山「ライブハウスLURUホールwithグラスホッパーズ」
    和歌山市狐島298-1(073-457-1022、http://luru.jp/hall/
    7時半開場8時開演。
    ¥3,000(1drink付)
    (問)川本容生(y-kawamoto@pvc-kawamoto.co.jp)
  • 5月23日(木) 神戸・新開地「ミナエンタウン2F アリスガーデン~
    宮永浩次(gt)&今村日利(bj)+ジョン、そしてサブさんジャム」
    18時開場19時開演
    参加費 ¥2,000 (阪急/阪神)新開地駅から歩3分
    (問)井上三郎 fiddleandbanjo@nifty.com、080-3819-8818
  • 5月24日(金)
    大阪「豊中岡町ジャム会」桜塚ショッピングセンター2階「あーとらんどYOU2」
    18時開場19時開演
    参加費 ¥500(+投げ銭)持ち込み可
    (問)奥谷 護(mail@jumbo-san.com)
  • 5月25日(土)
    兵庫「甲子園口・ダートマスクラブ~ジョンを囲むワークショップ&ジャム会」
    西宮市甲子園口北町1-22 B1F(0798-66-4911)
    14時半開場15時開演
    参加費 ¥2,000
    (問)井上三郎 fiddleandbanjo@nifty.com 080-3819-8818
  • 5月26日(日)
    京都「京都三条・日曜の昼下がり ジャムケットさろん@うずらギャラリー」
    中京区三条通寺町西入弁慶石町(070-5500-1011)
    2時半開演~5時まで15名限定
    参加費 ¥2,500
    (問)山本博一 appalachian106@ezweb.ne.jp

 

 

「うれしたのし」人形劇団   ~神戸、そして鎌倉/横須賀公演~

「うれしたのし」人形劇団

第6回公演:「漁師とおかみさん」

 3ケ月に一度、鎌倉を中心に関東への出張公演をつづける宝塚発のブルー暮らしーな人形劇団「うれしたのし」、6回目になる定例公演です。今回は3月10日の午前に神戸、そして3月21~24日には鎌倉/横須賀公演です! 井上由利子の手作り人形と舞台、世界の名作をアレンジしたオリジナルストーリー、そして夫である三郎のバンジョー楽をバックにした糸あやつり人形劇です。6作目の今回は、グリム童話の「漁師とおかみさん」を下敷きに、“Fisher's Hornpipe”をテーマソングにアレンジして、上演時間約40分の楽しい物語りがはじまります。

 

www.instagram.com

3月10日(日)神戸公演
●ファヴォリータ
日時:3月10日(日))am10:30開場/11:00開演
場所:神戸市垂水区城ヶ山1丁目4-8-2
   (山陽電鉄滝の茶屋駅から徒歩3分)
tel 078-753-3305
大人¥1500
子供¥800(baby 無料)

www.favorita.jp

3/10(日)“神戸公演” ●ファヴォリータ

 

3月21日(木/祝)~24日(日)鎌倉~横須賀公演
●POMPON CAKES BLVD.公演
日時:3月21日(木/祝)17:45開場/18:00開演
場所:鎌倉市梶原4-1-5助川ビル101
   (梶原口下車徒歩すぐ)
tel 0467-33-4746
大人¥1500(中学生以上)
子供¥700(3歳未満無料)
*共にドリンク付

●うみべのえほんやツバメ号 公演
日時:3月23日(土))am10:45開場/11:00開演
場所:横須賀市津久井1-24-21
   (津久井駅から徒歩1分)
ツバメ号ひろみさんの手作りおやつも販売♪
tel 046-884-8661
(ツバメ号公演のご予約は直接お店にご連絡ください)
大人¥1500(中学生以上)
子供¥700(3歳未満無料)
*共にドリンク付

●朝食屋COBAKABA 公演
日時:3月23日(土) 17:45開場/18:00開演
場所:鎌倉市小町1-13-15
   (鎌倉駅東口から徒歩3分)
tel 0467-22-6131
大人 ¥1500(中学生以上)
子供 ¥700(3歳未満無料)
*共にドリンク付

●ナンリーショップ 公演
日時:3月24日(日) am11:00開演
場所:横須賀市秋谷 久留和漁港
久留和漁港の目の前にあるトレーラーで営む楽しい商店です。美味しいお菓子や飲み物、採りたてお野菜も販売しています。
大人 ¥1000(中学生以上)
子供 ¥500(3歳未満無料)
*こちらの公演は野外となります。
  (雨天の場合は代替会場をお知らせします)

 

(番外編)
●おうち 公演@稲村ヶ崎
日時:3月21日(木/祝) 13:45開場/14:00開演
料金:大人も子供も¥500
*詳細はお問い合わせください。なお親子限定のみで受け付けております。

以上、ご予約はこちらから。

https://reserva.be/grassroots

3/21(木/祝)~24(日)“鎌倉~横須賀公演”



How To Play Bluegrass

“The World Is Waiting for the Sunrise”

今回から「ムーンシャイナー」2019年1月号からスタートした「How To Play Bluegrass」 を当編集長ブログに転載していきます。

 

新春バンジョーTAB譜(#2901)“The World Is Waiting for the Sunrise”
「世界は日の出を待っている」by Sab Jam
文──井上(渡辺)三郎

(本稿の内容を北野通久さんの協力でyoutube動画をアップしています。今月は “Moonshiner Jam 201901” で検索。撮影は大阪/梅田にある梅田ナカイ楽器の音楽教室にて。皆さんに感謝!)

 

2019年、あたらしい年の幕開けです。ちょうど100 年前、2018 年11 月に人類が経験した初の近代戦、第一次世界大戦終結、約900 万人の戦闘員と700 万人の一般人が戦争の直接的な結果として死に、そののちの大量虐殺と1918年からの世界的 なインフルエンザの流行で結局、5千万から1億 人が命を奪われた悲劇の年、1919 年に出版され、世界中の人の心に届いたであろう名曲。


Les Paul & Mary Ford Show: World Is Waiting For The Sunrise

ジャズスタンダードとして知られ、朝鮮戦争の最中、1951年のレス・ポールとメリー・フォード 録音がミリオンセラーを記録している。カントリ ージェントルメンが1961年11月6日に録音、その アレンジには、3小節目の「Aディミニッシュ」の代わりに「Aマイナー」が使われている。ま た29小節目の「F」は、ジャズなどでは「Dマイナーセブンフラットファイブ」、30小節目の「G 」は「G6th」をよく使わはる……。 ……頼んまっせ、ドナルドにウラジミール、そしてジンピンに、そこのシンゾー……!!ほんま。


The Country Gentlemen - Sunrise (Starday 628)

 

*動画の最後に今回のタブを掲載しています

 


Moonshiner Jam 201901 01 How To Play Bluegrass #01 World Is Waiting For The Sunrise (Banjo) ごあいさつ

 


Moonshiner Jam 201901 02 How To Play Bluegrass #01 World Is Waiting For The Sunrise (Banjo) メロディとコード

 


Moonshiner Jam 201901 03 How To Play Bluegrass #01 World Is Waiting For The Sunrise (Banjo) ローパート

 


Moonshiner Jam 201901 04 How To Play Bluegrass #01 World Is Waiting For The Sunrise (Banjo) ハイパート

 


Moonshiner Jam 201901 05 How To Play Bluegrass #01 World Is Waiting For The Sunrise (Banjo) ローパート通し

 


Moonshiner Jam 201901 06 How To Play Bluegrass #01 World Is Waiting For The Sunrise (Banjo) ハイパート通し

 


Moonshiner Jam 201901 07 How To Play Bluegrass #01 World Is Waiting For The Sunrise (Banjo) ギターリズム

 


Moonshiner Jam 201901 08 How To Play Bluegrass #01 World Is Waiting For The Sunrise Banjo Tips

 

The World Is Waiting for the Sunrise タブ譜

The World Is Waiting for the Sunrise バンジョータブ

 

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ノーム・ピケルニー & ステュアート・ダンカン Live Magic

ノーム・ピケルニー & ステュアート・ダンカン

ノームとステュアート、今日から札幌・大阪・名古屋

 昨夜、恵比寿で、もの凄いモン、観ました。
大音響のファンキーな南部ザディコの「Zydefunk」につづいて登場したノームとステュアート、ほとんどブルーグラス初体験の観客が、おそらく戸惑ったろうフィドルバンジョー音楽に、2、3曲目から会場が揺れ大歓声を上げていく様はじつに圧巻! 信じられない超ハイテクのビル・モンロー/ケニー・ベイカーの“Wheel Hoss”やシーンと会場が静まり返った“Lonesome Moonlight Waltz”、ブルーグラスのふる里であるスコットランドからアイルランドのトラッドからトミー・ジャレルのアパラチアンソウル……、そしてふたりとも、カントリージェントルメンからジョン・ハートフォードまで、楽器弾きとして知られる彼らから普段は聞けない歌もとてもいい。

 ちょうど50年前、フラット&スクラッグスを観てブルーグラスのとりこになった高校生、その後にもいろいろと凄いモン観ましたし、経験しました。そんな体験から皆さんに「わーわー」と言いつづけてきましたが、こんな年になって、さらにすごい「奴ら」を紹介できること、ほんとに嬉しい。ノーム・ピケルニーとステュアート・ダンカン、君たちはホンマ、素晴らしい! 
長年ブルーグラスを聴きやりつづける中、こんなに自分の信じた音楽ややって来たことが素晴らしいんだという確信を与えてくれる凄い音楽に昨夜、出会いました。ブルーグラスミュージシャンは偉大だ!!!

22日今日は札幌、23日は大阪、24日は名古屋です(詳細下記)。ぜひ、観においで……!!?

p.s. ノームとステュアートに関する月刊ブルーグラス専門誌「ムーンシャイナー」、2016年4月号と9月号、彼らふたりに関するそれぞれの特集記事をお楽しみいただければ幸いです。

 

bluegrasswise.hatenablog.com

 

 

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また、一部、ブログで紹介したステュアートのバンジョー、持ってきたのはグラナダじゃなく、ご執心のトップテンションでした。それでも自腹で座席を買ってます.....!!
 そのバンジョー遍歴と、尋常じゃないバンジョー愛は今後のムーンシャイナー誌にて。

10/22(月)
北海道 札幌・ベッシーホール
http://bessiehall.jp/
開場:19:00 開演:19:30
前売 4,500円 当日 5,000円
(問合せ)安倍=080-6081-8390、
happy_trail0912@yahoo.co.jp

10/23(火)
大阪 梅田・umeda TRAD
(会場問)06-7897-2454、info@umeda-trad.com
開場:18:00 開演:19:00
前売 4,500円 当日 5,000円
(学生前売り 3,500円 当4,000円)
(要別途1ドリンク¥500-)
(問合せ)fiddleandbanjo@nifty.com
080-3819-8818(井上)

10/24(水)
名古屋 今池BLcafe(BOTTOMLINE内)
開場:18:00 開演:19:00
前売 4,500円 当日 5,000円
(学生前売り 3,500円 当4,000円)
主催:Mountain Time Festival
(問合せ)安川=0584-45-2176 naonoar1948@ezweb.ne.jp
協賛:(株)HOSCO

ノームとステュアート、ご予約の皆さまへ

ノームとステュアートのコンサート

いよいよ近づいてきました10月23日、ノームとステュアートのコンサート

ノームとステュアート、超多忙なふたりとも大変日本でのフィドルバンジョー公演を楽しみにしています。ノームは近年手に入れたン千万のギブソングラナダを、ステュアートは12歳のときビーンブロッサムでケニー・ベイカーから260ドルで買ったフィドルを、それぞれ自腹で楽器用の飛行機座席を購入するという本気度です。ふたりとも、わたしの知る限りチョー真面目なブルーグラス人間、ぜひその人柄にも触れてみてください。

また、ノームとステュアートに関する月刊ブルーグラス専門誌「ムーンシャイナー」、2016年4月号と9月号、彼らふたりに関するそれぞれの特集記事を「bluegrasswiseブログ」に上げています。お楽しみいただければ幸いです。

いよいよです。21世紀はじめに、きっと観ておいた方がいい、世界最高の弦楽器奏者で
す。「21世紀に甦るアメリカンポップサウンドの源流!」などという、ちょっと恥ずか
しいコピーも通じます。ブルーグラス以外の方にも是非見ていただきたいですね。

ムーンシャイナー編集長より

 

月刊ブルーグラス専門誌「ムーンシャイナー」2016年4月号掲載
bluegrasswise.hatenablog.com

 

 

月刊ブルーグラス専門誌「ムーンシャイナー」2016年9月号掲載
bluegrasswise.hatenablog.com

 

 

月刊ブルーグラス専門誌「ムーンシャイナー」2016年9月号掲載
bluegrasswise.hatenablog.com

 

ステュアート・ダンカン特集 MOONSHINER/April 2016

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ステュアート・ダンカン 「フィドルメニア」

 本誌2月号でお伝えすることができなかった、世界最高峰のブルーグラス フィドラー、ステュアート・ダンカンの来日、2月26日に急きょ開かれたワークショップなどからその音楽や素顔、そしてやはり、その尋常ではないバイオリンへの愛情などをお伝えしてしてみようと思う。

 

bluegrasswise.hatenablog.com

 

 

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■基本データ

 1964年4月14日、バージニア州クワンティコの海兵隊基地で生まれ、ロサンゼルスの西北約65マイル、1時間ほどのサンタポールで育っている。海兵隊勤務の父はピート・シーガーに影響されたバンジョーを弾き木工が趣味という堅実な家庭型らしく、ステュアートは父の趣味や、きっと性格までもをそのまま受け継いでいると見た……。

■タイムカプセル

 アリソン・ブラウンが高校卒業記念にと、二歳年下のステュアートとの連名で創った、ふたりともにデビュー作となる『Pre-Sequel』は1981年の発表だった。衝撃だった! 何よりも当時17歳か18歳、ハーバード大学進学が決まったという女子高生、アリソン・ブラウンのすごいバンジョーとドブロに、おそらく世界中のブルーグラッサーが驚いた! その上に15歳のステュアート・ダンカンがフィドルマンドリン、そして趣味のいいリードギター……、女性や子供が一級のトッププレイヤーとまったく遜色ない演奏を聴かせるという、それ以降現在もなおつづくトレンドの初めての作品として、明らかにブルーグラスの新しい時代を告げるアルバムだった。1981年のこのアルバム以降、21世紀の天才、クリス・シーリの出現まで、日本ではバブル景気による若者たちへの骨抜き文化によりブルーグラスのみならずあらゆるアコースティック音楽の冬の時代がつづく間、米国と欧州では怒涛のブルーグラスワールドが開けて行くのだが……。

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 そんな天才少女と少年だが……、やることは可愛い。「アリソンとタイムカプセルを埋めたんだ。べっ甲のピック、オーセンティックなドブロのサムピック、お互いへ宛てた2ページの手紙、フェスの主催者が踏み固めた土、そして何枚かの写真など。で、ミレニアム(2000年)に掘り起こそうって」、カリフォルニアブルーグラス協会のグラスバレイのフェス会場に埋めたという。「実際にはスケジュールが合わなくて、2002年になったんだけど、ふたりで大捜索、ちゃんと金属探知機も用意してね。楽しかったなぁ」。話している間中、子供みたい……。

■ラリー・スパークス

 そのデビュー作を聴いて以来、ずっと気になりながら1984年、ナッシュビルのステーションインでラリー・スパークスのロンサムランブラーズでとんでもなく爽やかな若者が、とんでもなくロンサムなフィドルを弾くのに感激、名前を聞くと「ステュアート・ダンカン」! あっ、あの……!?

 アリソンとのアルバムののち、高校卒業後に当時は唯一のブルーグラスを授業に持つテキサス州のサウスプレーンカレッジに一年のみ就学したのち、その年にラリーに加入したと思われる。

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 1970年代に西海岸を訪れていた日本の――とくに西海岸には関東系が多かったような印象があるが――若いブルーグラッサーたちは、まだ中高生だったステュアートやアリソンらとけっこう邂逅しているかもしれない。当時のジューンアップル誌などで報じられていたという記憶がかすかにある。カリフォルニアの名門トラッドグラス、ロスト・ハイウェイにも在籍、1982年にサウスプレーンカレッジで録音した『Lost Highway』にも参加していたというから、きっとディズニーランドでの演奏アルバイトにも通っていたに違いない。

 ラリー・スパークスという、現在はデル・マッカーリーと並ぶブルーグラス第一世代と第二世代を結ぶ至宝に若くして仕えた……そんな事実だけでも、今から考えるとすごいことだと思う。若くして、おそらく自ら望んで、ブルーグラスの核心に手を届かせたとは、……これはすごい奴だと思っていると、すぐその後、ピーター・ローワンとベラ・フレック(当時ステュアートと同様、ケンタッキー州レキシントン在住)の勧めでナッシュビル移住。それは1970年代の初期からのブルーグラスフェスやヒッピーたちのサポートで盛り上がりはじめた若者たちのブルーグラス(ニューグラスと括ってもいい)が、ようやく1980年代になって初めてナッシュビルでビジネスとして相手にされるようになり、サム・ブッシュやマーク・オコナーをはじめとするニューグラスの牽引者らがジョン・ハートフォードの引力でナッシュビル移住をはじめた時期とも重なる。

ナッシュビル

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 移住の1985年、当時のネオトラッドの風潮に乗って登場した中でもディープな南部の匂いを纏った話題のカルテット、ピーター・ローワンのバックバンドのように活動をはじめていたナッシュビルブルーグラスバンドに雇われて5人目のメンバーとして参加。以来30年間、NBBのバンドメンバーであり続けている。NBBはブルーグラスグラミーの常連としてラッキーなスタートを切ったが、看板ボーカリストのアラン・オブライアンが喉を痛めて活動のペースを急減速、最近では年に数回というライブスケジュールで、スタジオセッションの多いステュアートには居心地の良いバンドなのかもしれない。

 ナッシュビル移住とともにデモセッションのフィドラーとしてスタジオミュージシャンをスタート。当時、リッキー・スキャッグスの大ブレイクで始まったネオトラッドという70年代ポップカントリーに対する保守回帰のカントリーが見直され、急にフィドルの需要が増えたところに、おそらくステュアートの音の中にブルーグラス出身者共通の符号を読み取ったのか、「リッキーがセッションに声をかけてくれたんだ」という。そののち、「ちょうどマーク・オコナーの都合がつかないとき、ランディ・トラビスのセッションに呼ばれ、それ以降、次々とカントリー系の仕事も入ってくるようになった」のだという「ラッキー! 」。

 ランディをフロントランナーにした、いわゆるハットカントリー(カウボーイハットの復活)と呼ばれるホンキートンクをベースにしたカントリー、なかでも「カントリーの王様」と呼ばれるジョージ・ストレイトやアラン・ジャクソンのすべてのレコーディングにおける間奏を取ってきた実績は、ブルーグラスやアコースティック界でのアーティスティックな活躍以上に業界では評価されているという。

 しかし、我々にとって、ステュアートはブルーグラスフィドルの境界を限りなく拡げてくれた世界一のフィドラーだ。トラッドグラスのエッセンスを知り、それを的確なブルーグラス楽器の三大要素として知られる「3T」(トーン、タイミング、テイスト)で表現しながら、マーク・オコナーのクリエーター志向とは違う、ブルーグラスフィドルのイノベーターとして、おそらく本人も誇りを持って、ラリー・スパークスともヨーヨー・マとも同じ、ブルーグラスフィドラーとしてのスタンスで、我々に無限の可能性をもたらしてくれる。

■クラシックと楽譜について

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 「3T」のほかに、ワークショップで重要なポイントとして挙げたのは「P」(ピッチ)だ。その正確なピッチと多彩な自在ボウイング、左手指の圧力から生まれるすばらしいトーンから、わたしはてっきりクラシックの素養があるものだと思っていたのが大間違い! まったくクラシックは学んだことがないと言う……ただ一ヶ月間(4回ほど)、母の勧めでバイオリン教室に通っている。ひと月経ったのち、先生から母に電話があった、「残念ですが息子さん、わたしには教えかねます。だってどの曲も言った通り弾かず、すぐにハーモニーを付けてしまうんですもの……」と。そののち、あの正確なピッチと複雑なテクニックはすべて耳で覚えていったのだと言う。家にフィドルがあったのは、父が「家にない唯一の楽器だからって買ってきた」という。スコットランド系ということで、スコティッシュフィドルにも興味を持ったという。

 また、「楽譜はヨーヨー・マとの(グラミー受賞作品)『Goat Rodeo Session 』(2011)まで、読めなかったんだ」という言葉にも驚いた。つまり、彼の数々のスタジオセッションは100パーセント、譜面をなぞることではなく、そのセンスで買われているんだ!ということだ。誰も彼に、「こう弾け」とは指図しないのだ。

 「ゴートロディオのアルバム制作の準備期間が一年近くあって、その間のリハーサルで曲想を思いついて弾いていると、エドガー(マイヤー)がサッサとその場で楽譜にしてくれるんだ。自分はしばらく経つと忘れてしまうという、そんな繰り返しで、それでは困るんだとエドガーやヨーヨーに言われて、初めて真剣に楽譜を読み始めたんだ。今ではゆっくりだけど、なんとか読めるんだ。譜面は、読めないよりは読めた方が良いということに、やっと気付いよ」。

■無銘の愛器について

 1976年の夏休み、「12歳のとき、初めてのビーンブロッサムを体験したんだ。そこで母さんと歩いていると、ケニー・ベイカーが13本、フィドルを並べて売っていたんだ。その中から赤っぽいバイオリンが目に留まり、弾いてみたらすごく良くて。ケニーは、『そいつぁーいいフィドルだべ!(嬉しそうに強烈なアパラチア訛りの口癖を真似ながら)』。でもちょうどその頃、父さんが初めて作ったバイオリンをもらったばかりで、『でも父さんに悪いな』って、母さんと顔を見合わせていると5分ほどして父さんがやってきて、どれどれって弾いてみたんだ。すると、父さん『ぜんぜん違う!』って、買ってくれたんだ。それは少しだけ(約半インチほどブリッジとテイルピース側が)、普通より大きなフィドルで、それが今も一番メインで弾くフィドルなんだ」。

 そこで気になるお値段を聞いてみると、「260ドル。これまでにストラディバリウスやガルネリ……、本物だよ! いろんな名器というものを弾くチャンスがあったけれど、その260ドルのフィドルに勝るものは一本もなかったよ。今回のワールドツアーではそれじゃなくて、やはりボディーが半インチほど長い、別のフィドルを持ってきてるんだ」。それはマッジーニのコピーで、ナッシュビルの「バイオリンショップ」のフレッド・カーペンターから交換で手に入れたものという。

 「わたしは今、10本ほどのフィドルを持っていて、いろいろと試しているんだけれど、そのうち父が作ったのを含めて4本の気に入ったものがあるんです。また、これまでの経験から、ブルーグラスにはイタリア産のものはあまり向いてなくて、やはりドイツか東ヨーロッパ系のものが向いているように思います」

■日本とソロアルバム

 「そうそう、そのとき(1976年)のビーンブロッサムにはたくさんの日本人がいて、それがブルーグラス45だって思ってたんだけど(わたしのいたそのバンドは、かつてアメリブルーグラス界で伝説的に有名で、日本人とみると「45?」と言われることがあったという)違うんだね? でも、今でも45のLPを大事に持ってるんだ! 『Hello City Limits』だろ?」。ズコッ!……それは思い違いです、そのタイトルのLPアルバムはネッシーエキスペディションというバンドのんです! ちなみに1976年はわたしにとって、初めてのブルーグラスツアーを企画/引率した思いで深いツアーでもある。

 「今でも、ぼくがカバーのムーンシャイナーを持ってるよ」と言ってくれたステュアート、それは1990年1月号だった。あたらしい90年代の幕開けに、新シリーズ「90年代ブルーグラスの顔」の第一弾としてこのとき、ステュアートはずば抜けた輝きを持っていた。

 そう言えば、1986年にナッシュビルブルーグラスバンドが初来日したのも今回と同様、寝耳に水の来日だったようで、ムーンシャイナーでカバーになる暇もなかったと記憶している。確か、米政府の文化交流使節として米国のプロバンド初の中国公演だった。 二回目の来日は1993年、熊本の第5回カントリーゴールドだった。

 ソロアルバム『Stuart Duncan』が出たのは1992年、4半世紀もの間、世界一のフィドラーがアルバムを出さないとは、どういう訳なんだ!

 「みんな、二枚目を出したら、『一枚目が良かったのに!』って、きっと言うだろう。それが嫌なんだ」……なるほど、そういうもんか? 「って、いうのもあるにはあるけれど、忙し過ぎて、自分のオリジナルを書く暇がない!ということもある。やっぱり、カバーばかりじゃネ? 」

 ワークショップに向かう山手線の中で、「おうなぐうにって知ってるかい?」ときた。なんか「海の中の建物がどーの、こーの……」。ぐうにって、国のことかな? なんやろ……、とその場では降参、後日彼がメールで送ってきたのは「与那国(Yonaguni)」。あー知ってる! 海底遺跡かどーか、論争のあるとこだ。3日後、日本最終公演の大阪で、「大阪城ってここからどれくらいかかる?」、なぜかと思えば、巨石が見たいのだという。……どうやら、不可解な構造物に反応する巨石マニアの一面も持つようだ。

■家族について

 妻のディータは、サム・ブッシュの隣に住んでいて、当然ながら子供の頃からブッシュ家の知り合い、またコートニー・ジョンソンからバンジョーレッスンを受けていたような生粋のニューグラスっ子だったという。「14歳のとき、1985年のルイビルで開かれたケンタッキーフライドチキンのフェスで初めて会った。ファンの女の子のようにスクラップブックにいろいろとニューグラス系アイドル!?の写真を集めててみんなに見せてたんだ。偶然、その年の新聞に大きくわたしの写真が載っていてね。それで、名前を覚えたようだけど、そのときは彼女、ベラ・フレックと結婚するつもりだったんだ。

 それから5年ほどのちのある日、ツアーからの帰り道に、家に帰ってから飲むビールを買いに店に飛び込んで、支払いの年齢認証のIDを出したら、若い女店員が、『わたし、あなたを知ってる』って、よく見ると、『ぼくもあなた知ってる!』って、その頃は彼女もナッシュビルに移っていて偶然に再会。翌年に結婚したんだ。すぐに長男ジョッシュが生まれ、いま25歳ですでに結婚、ブルーグラスミュージシャンのわたしとは大違いの堅実人生。次男ジョナサンはシェフで、ステュアートは築地で「有次」の包丁をお土産に買っていた。高校を卒業した長女ダルシーは18歳。

■ステュアート・ダンカン・ワークショップ

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 しかし、かれのワークショップ本番でのあのオタクぶりには驚いた。最初っからビル・モンローの1947 年録音と1960年録音の“It's Might Dirk To Travel”を聴きながら、「key of G」のチャビー・ワイズと「key of B」のデイル・ポッターのフィドル間奏を聴きながら、そのエッセンスを実演……またオールドタイムフィドラーの音程に関するシビアな考察。ミュージシャンとして一番大切なのは、隣の人の音が聞こえること。

 自分では分からないが、妻ディータが言うサイコーの演奏はクリス・シーリ『Not All Who Wander Are Lost 』(2000)に収められている“Raining at Sunset ” の2回目のソロだという、のだそうだ。ワークショップでわずか数秒のソロに聴き入る姿は、あたかも演奏しているかのように体が反応していた。このアルバムに与えられた準備期間はたったの1週間だったという。

 そして運指練習法として、たとえばとても速いベラ・フレックのフレクトーンズのバンジョー曲“Magic Fingers ” を挙げ、キーを変えるなど、バイオリンではあまりないフレーズ固執バンジョーフリークの片鱗に驚きと、あーヤッパ?という感慨を持たせた。世界一のフィドラーも、やはり世界一のマンドリン奏者たち――サム・ブッシュやデビッド・グリスマン、クリス・シーリらと同様、スリーフィンガーをよくするバンジョーフリークなんだ......!? また、曲ではなくダブルストップを自在に組み合わせたり、バッサー・クレメンツもウォームアップにおススメ。

 使用弦は、トマスティック、スパーフレックス「ウィーンのト本社を訪れるチャンスがあったんだ。中にはどんな機械なのか秘密にしている部屋もあったけどいろんなところを見せてくれた。そこで知ったのがタングステン製のG線。とてもいいんだ」。ゲージはミディアムE、ライトA、ライトD、そしてミディアムのタングステンG。なお、E線にはデンマーク製のラーセンのツィガーヌ( Larsen Tzigane)がお勧めと言う。ブリッジはクラシックと比べると少しフラットだと言い、トリプルストップも披露してくれた。また、今日の参加者のほとんどは、わたしよりも弓を強く張っているという。

 仕事から疲れて帰ったりしたとき、どんな音楽を聴きたいですかという問いに、しばらく考えて、「初期の録音が好きだなぁ。1920〜30年代のギターのブルースや同時期のオールドタイムストリングバンド、フィドルなんかちょっとシャープしていて別のスケールに聴こえる山の音とか。考えさせられるものじゃなく、そこにあることがチョッと怖いような音楽かな……。そのあとはビールからな」。インプロバイズのアイデアはどこから生まれるという問いには、「例えば歩いてるとき大きなアナログ時計を思い浮かべ、それが自然に体の中で回り始めると、アルペジオやコードをセットして発展していく……」と「G-C-D」のコード展開で、次々と湧いて出るアドリブ。
 最後の2曲と言って、ベラ・フレック『Drive 』から“Down in the Swamp ” と最後、“Billy In the Lowground ” で締めた。

■楽器工作マニア……

 お父さんがクロウハンマーバンジョーを弾いていたって? 「うん、ピート・シーガーのようなね。父さんは海兵隊に務めてて、沖縄にもいたし、ベトナムにも行っていたんだ。基地育ちだったけれど、そのおかげでいろんな食べ物を楽しんだよ。お寿司にガリを乗せて食べるのも、醤油の代わりにポン酢をつけるのも、そんな中から自分で考えたんだ。料理も大好きだけど、ディータの方が上手だって知ってるんだ。もちろん、いろんな音楽もね」。ヨーヨー・マとのグラミー受賞作でも弾いていたクロウハンマー、お父さんの影響と思いきや、「いや、スリーフィンガーの方が得意なんだ!」って、うっソー!? それで、悪いクセとは知りつつ、ブルーグラス成立に関するアール・スクラッグス、すなわち三本指に込められたポリリズムとメロディーを装飾して行くアルペジオの不作為さとその重大さを語ってみたが、「アーハン」。ま、こんなマニアックな話は寿司を喰いながらするものではない、と反省。

 父親譲りの極めつけは木工。ステュアートが小さいとき、父はしょっちゅう楽器を解体しては組み立てていたという。高校の課題では古いベースをレストアーしたり、マンドリン型のエレキを作ったり。ついには今、最初のF5コピーが完成間近だという。ワークショップでは参加者のフィドルをつぎつぎとチェック、道具を持ち出して魂柱までセットしはじめたのには驚いた。ステュアートが弾くと、どのフィドルも素晴らしかった。

 最終日の大阪、日本で一番行きたかった場所は、「東急ハンズ」。友達がアメリカにない工具を見つけたって教えてくれたから。やっと時間が取れて、大阪の東急ハンズへ。彼はヒトコト、「ここなら、1日中いてもいい」。 (完)